世界文化遺産を巡る 日本三景 安芸の宮島

一日目で原爆ドームの次に訪れたのが、日本三景のひとつでもある安芸の宮島です。
巌島は古来から神聖な島としてつたえられています。
平安時代に平清盛が建てた神社と伝えられていて、NHK大河ドラマの毛利元就ではたくさんの方が訪れたようです。
私は二度目ですが、やはり見所満載で楽しかったですよ。
みなさんは訪れたことがありますか?
安芸の宮島
日本三景のひとつ、いわゆる「安芸の宮島」である。古代から神聖視されていたとされ、江戸時代以来、日本屈指の観光地として栄えてきた。現在では人口1800人余りの島に、年間300万人近い参拝客・観光客が訪れる。
海上に浮かぶ大鳥居と社殿で知られる厳島神社は、平安時代末期に平清盛が厚く庇護したことで大きく発展した。社殿・廻廊ともに国宝(建造物)に指定されている。また数多くの美術工芸品・武具類が奉納されている。中でも清盛が奉納した「平家納経」は、平家の栄華を天下に示すものとして豪華絢爛たる装飾が施されており、日本美術史上特筆すべき作品の一つとされる。厳島神社は1996年に世界遺産に登録された。
「厳島」としては、1934年(昭和9年)より周辺海域を含めた島嶼全域が瀬戸内海国立公園に編入され、自然公園法が定める特別保護区域となっている。1952年(昭和27年)に国の特別史跡及び特別名勝に指定され、弥山の原始林は国の天然記念物にもなっている
平家の滅亡後、鎌倉時代にははじめ源氏の崇敬を受けたが、政情が不安定になる中で徐々に衰退する。神主家を世襲していた佐伯氏は、1221年の承久の乱で後鳥羽上皇側についていたために乱後に神主家の座を奪われ、代わって御家人の藤原親実が厳島神主家となった。厳島神社は貞応年間(1222?24年)に火災に遭い、一応の再建はされたものの、戦国時代にかけて荒廃した時代であったと伝えられる。
戦国時代に入ると、安芸を本拠に勢力を伸ばしていた毛利氏と、衰退しつつこそあったものの周防・長門を領有していた大内氏が対立し、安芸・周防国境はその最前線となる。厳島は周防から安芸への水運の要衝とみなされ、1555年(天文24年)、毛利元就は厳島を舞台に、大内氏の実権をにぎる陶晴賢を討ち、大内氏を滅亡に追い込む(厳島の戦いを参照)。これ以後毛利氏は中国地方10か国(安芸・周防・長門・備中・備後・因幡・伯耆・出雲・隠岐・石見)を領有する大大名に成長して、のち関が原の戦いで西軍の総大将となる。もともと厳島神社を崇敬していた元就は神の島を戦場にしたことを恥じ、戦後はこの島の保護・復興につとめた。現在の厳島神社の基盤は、元就の社殿大修理によるところも大きい。
1587年(天正15年)、すでに関白太政大臣となっていた豊臣秀吉は、多くの戦で亡くなった者の供養のため、厳島に大経堂を建立するよう政僧・安国寺恵瓊に命じる。本堂に畳が857畳敷けることから「千畳閣」と通称される巨大な木造建築である(重要文化財)。柱や梁には非常に太い木材を用い、屋根に金箔瓦をふくなど、秀吉好みの大規模・豪華絢爛な建築をめざしていたことが伺えるが、秀吉の死により工事が中断されたため、御神座の上以外は天井が張られておらず、板壁もない未完成のままで今日に伝えられている。
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