猿ヶ京関所の開設は、新治村「須川記」によれば、寛政8年5月、三代征夷大将軍徳川家光の時代に始まり、佐渡金山の御金道、三国街道の関所として重要視されていた。
三国峠を越えて新潟まで通じ、越後諸藩の大名、幕府の新潟佐渡奉行等の通行があった。
関所には関守が設けられ、手形を持たない人や犯罪者は、密かに間道を通ると、関所破りと呼ばれ、捕まれば、磔にされた。幕末には手形のない旅人でも、猿ヶ京の宿屋、茶店の印鑑を貰い、五十文で通されていた。
当時の手形(今でいうと、パスポート)が、数点万葉亭のロビーに飾ってあります。写真の手形は、新撰組の通行手形です。