奈良遠征の城めぐり その3 国宝天守 犬山城

奈良のついでに行った城めぐり第3弾は国宝の犬山城です。
ほとんど当時のまま残っているという事で復興とは一味違いすごい迫力でした。
国宝に指定されているお城の中で一番古いみたいです。
中の木材は大きな一本の木が柱として多く組まれていて・・・・昔の建築物はすごいですね。
天守から見える景色も最高で稲葉山や小牧山なども見渡せるようです。
私が行った時は黄砂の影響であまり見えませんでしたが・・・・・。
さすが国宝といった感じです。
ここは一見の価値ありですよ!!
犬山城の歴史
戦国時代・安土桃山時代
文明元年(1469年)に織田広近がこの地に砦を築いたのが始まりといわれる。天文6年(1537年)に織田信康は居城の木ノ下城を廃し、現在の位置に城郭を造営して移った。現存する天守の2階まではこのころ作られたと考えられている。信康が斎藤道三との戦いで戦死して子の信清が城主となるが、織田信長との対立の末に信長によって永禄7年(1564年)に攻め取られる。以後、池田恒興や織田勝長などが城主を務めた。
本能寺の変後、織田信雄の配下の中川定成が城主となるが、天正12年(1584年)に突如として、かつての犬山城主でもあった池田恒興によって奇襲を受けて奪われた。これはまもなく小牧・長久手の戦いの引き金の1つとなる。戦後は再び信雄の城となるが、彼の失脚後は三好吉房などが城主を務める。
豊臣時代には石川備前守が城主となった。かつては、この時に美濃国金山城の天守を移築したという伝承があったが、昭和36年(1961年)の解体修理の際の調査の結果、移築の痕跡がまったく発見されなかったため、移築説は現在は否定されている。
江戸時代
備前守は関ヶ原の戦いでは西軍に属したため、まもなく没落した。慶長6年(1601年)に小笠原吉次が、慶長12年(1607年)に平岩親吉が城主となる。親吉が没した後の6年間の城主の空白期間を経て、元和3年(1617年)に尾張藩付家老の成瀬正成が城主になり、天守に唐破風出窓が増築される。以後徳川時代を通じて成瀬家9代の居城となった。
近現代
明治の廃藩置県で廃城となったが、明治24年(1891年)の濃尾地震で天守の一部や櫓・城門などがこわれたため、明治28年(1895年)に城の修復を条件に旧犬山藩主成瀬正肥に無償で譲渡された。平成16年(2004年)3月時点で日本で唯一の個人所有の城であったが、同年4月に財団法人犬山城白帝文庫に移管されている。
2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(43番)に選定され、2007年(平成19年)6月から全国規模の日本100名城スタンプラリーが開始された。
犬山城