奥利根水源の森のヒメカイウは、大きな景色の陰にそっと隠れているような植物です。照葉峡の滝や秋の紅葉に目を奪われる道の先で、ブナ林の湿原には、ずっと長い時間を受け継いできた小さな白い姿があります。
林野庁は、この森の湿原に見られるヒメカイウの群生を「氷河時代の残存植生」と紹介しています。今日は花の見頃を追う案内ではなく、なぜこの小さな植物が奥利根の自然を物語るのか、宿主の目線でたどってみます。
奥利根水源の森のヒメカイウは、湿原の小さな目印

ヒメカイウは、湿り気のある場所に育つサトイモ科の植物です。白い花びらのように見える部分は仏炎苞と呼ばれる葉の仲間で、その内側に小さな花が集まります。ミズバショウを思わせますが、名前の「ヒメ」が示すように、より小ぶりな姿です。
足元の水、苔、落ち葉、木漏れ日。その間に白い姿を見つけたとき、森の広さとは反対の、小さな尺度へ目が移ります。自然を見る旅は、遠くの山だけでなく、足元の数センチからも始まるのだと思います。
氷河時代の名残が、今もブナ林の湿原にある

「氷河時代の名残」と聞くと、岩や地形を思い浮かべるかもしれません。けれど奥利根では、植物の分布も古い気候の記憶を伝えています。冷涼で水の絶えない環境が残り、ヒメカイウのような植物が生き続けられる場所になりました。
林野庁の案内では、奥利根水源の森はみなかみ町藤原にあり、ブナを中心とする天然林が大部分を占めます。森には湯ノ小屋川の流れがあり、奈良俣ダムへつながる水源地域でもあります。白い一輪を見ることは、森と水が結びつく場所を見ることでもあります。
花を探すより、湿原を傷つけない歩き方を
自然の花は、年ごとの雪解けや気温、雨の量で姿を見せる時期が変わります。訪れた日に必ず見られるとは限りません。それでも、見つからなかった時間が空振りになるわけではありません。ブナの幹に触れる光や、沢の音、湿った土の匂いが、森の成り立ちを教えてくれます。
植物を採らず、園路から外れず、湿原へ踏み込まないこと。足元は歩きやすい靴にし、標高のある場所なので季節によっては防寒着も用意してください。県道水上片品線は冬期閉鎖があり、天候によって道路状況も変わります。出発前には関東森林管理局の奥利根水源の森案内と道路情報を確認してください。
水源の森を知ってから、猿ヶ京温泉へ
森で蓄えられた水が、川となり、田畑や町の暮らしへつながっていく。奥利根水源の森を歩くと、みなかみ町が「山と水の町」と呼ばれる理由が、少し具体的に見えてきます。
旅籠屋丸一へ戻ったら、見つけた花の数より、森で聞いた音を思い出してみてください。日常の速さから少し離れ、自分の感覚を取り戻す。私たちが大切にする回復とは、身体への効果を約束する言葉ではなく、そんな静かな余白のことです。
奥利根の自然については、一ノ倉沢の岩壁を眺める旅もあわせてどうぞ。宿泊のご案内は旅籠屋丸一公式サイトでご覧いただけます。
この記事を書いた人
窪田 一生
旅籠屋丸一 代表取締役/15代目
群馬県・猿ヶ京温泉生まれ。山や水、季節の小さな変化を、宿を訪れる皆さまへお届けしています。

