温泉旅館の鍵を受け取る瞬間|宿主の独り言と旅のはじまり

旅籠屋丸一の客室扉に差し込まれた温泉旅館の鍵

玄関の戸が開き、旅の荷物と一緒に外の空気がふっと入ってくる。お名前を伺い、ご案内を終えて、最後に温泉旅館の鍵をお渡しする。その短い時間に、私はいつも小さな節目を感じます。

東京から長い道を運転してきた方も、電車とバスを乗り継いだ方も、鍵を手にした瞬間から、ここが今夜の居場所になります。今日は土曜日。宿主の独り言として、普段はあまり語らない「鍵を渡す側」の気持ちを書いてみます。

温泉旅館の鍵は、旅の速さを変える合図

日常では、鍵は出かける前に確認するものです。玄関の鍵、車の鍵、会社のロッカーの鍵。なくさないように気を配り、次の予定へ急ぐための道具でもあります。

ところが温泉旅館で受け取る鍵は、少し役割が違います。客室の場所を示すだけでなく、「ここからは急がなくて大丈夫です」と伝える合図のように思えるのです。荷物を置き、上着を脱ぎ、窓の外を眺める。その順番さえ、旅先ではゆっくりでかまいません。

旅籠屋丸一のロビーに置かれた椅子と木の受付
鍵を受け取ったあと、ひと息つける旅籠屋丸一のロビー(旅籠屋丸一提供・使用許諾済み)

お渡しするとき、まず思うのは「無事でよかった」

猿ヶ京温泉までの道には、季節ごとの表情があります。夏の強い日差し、夕立のあとの濡れた道路、秋の落ち葉、冬の雪。お客様のお顔を玄関で拝見すると、まず「今日も無事に着いてくださってよかった」と思います。

宿にとっては毎日のチェックインでも、お客様にとっては、何週間も前から予定してくださった一日かもしれません。お祝いの日かもしれませんし、忙しい日常にようやくできた休みかもしれません。事情をすべて伺わなくても、その一泊を大切にお預かりしたいと思っています。

小さな鍵が、今夜の居場所をつくる

鍵を開けて客室へ入り、畳に荷物を置いたとき、肩の力が少し抜けることがあります。廊下の音が遠のき、部屋の静けさが近くなる。派手な出来事ではありませんが、宿の時間は、そんな小さな変化から始まります。

旅籠屋丸一の館内には、古い木や道具が残り、新しい設備と一緒に使われています。鍵もまた、建物とお客様を一晩つなぐ小さな道具です。どうぞなくさないように、とは申し上げますが、必要以上に緊張なさらず、ご自分の部屋へ帰る目印として持っていただければ十分です。

旅籠屋丸一の木の館内にともる編み目の照明
客室へ向かう木の館内を照らす灯り(旅籠屋丸一提供・使用許諾済み)

お返しいただく鍵に、旅の余韻が残ります

翌朝、鍵がフロントへ戻ってくると、一晩の終わりを感じます。「よく眠れました」「お湯が気持ちよかったです」「また来ます」。そんな一言を添えていただくこともあれば、笑顔でそっと置いてくださることもあります。どちらも、私たちにはうれしいお返事です。

鍵を受け取り、玄関でお見送りをすると、次のお客様を迎える支度が始まります。宿の一日は、その繰り返しです。それでも同じ一日が二度とないのは、訪れてくださる方が毎日違うからでしょう。

今日も、鍵を整えてお待ちしています

遠く猿ヶ京温泉まで足を運んでくださることは、決して当たり前ではありません。これまでお越しくださった皆さま、これから旅を考えてくださる皆さまへ、あらためてありがとうございます。

鍵を受け取ったら、予定表をいったん鞄へしまってみてください。湯へ向かうのも、椅子に腰を下ろすのも、少しぼんやりするのも自由です。今夜の居場所が決まった安心の中に、日常から気分を切り替える「回復の余白」が生まれたら、宿主としてこれほどうれしいことはありません。ここでいう回復は、身体の変化を示すものではなく、自分の速さを取り戻す時間のことです。

ご宿泊や館内の最新情報は、旅籠屋丸一公式サイトをご覧ください。旅の到着時刻を考える方には、温泉旅館には何時に着くのがよいかをご案内した記事もございます。


この記事を書いた人

窪田 一生
旅籠屋丸一 代表取締役/15代目

群馬県・猿ヶ京温泉生まれ。幼少期からテニスに打ち込み、全国大会やオーストラリア留学を経験。

帰国後、堀越高校、中央大学へ進学。

卒業後は中国整体・サプリメント・アロマ関連など、人の身体や暮らしに関わる仕事に携わる。

現在は旅籠屋丸一の代表取締役・15代目として、歴史を受け継ぎながら宿の新しい未来に挑戦中。

このブログでは、猿ヶ京温泉や旅の魅力、宿づくりへの想いをお届けします。